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はじめに 物事に対峙するとき、「それがいかなる意味と価値を持っているか」を考えることが決定的に重要である。これこそが私たち人間に求められる能力というものであろう。 市町村合併に対峙するすべての首長に期待されるリーダーシップとは、地域の住民が日々、それぞれに納得する生活を送る上で、合併がいかなる意味と価値を持つのかを解き明かすことである。もっと言えば、市町村合併を通して地域の生活に新しい意味と価値をいかにして付与するかを考えることである。そのような期待に応えないままに住民投票に意思決定を預けるなどは無責任の極みと知るべきである。 物事の意味と価値を考えること。これは現代という時代が持つ意志であり、すでにその問いかけは企業の世界、政治の世界、行政の世界、教育の世界、そして家庭という最も重要な生活単位にまでも浸透していることに気付かなければならない。決して、市町村合併だけが特出した問題ではないのである。 例えば、ここ十数年の間、企業の世界は資産価値を減らすばかりか不良債権という負の資産を抱え込んで真の体力が質されてきた。その過程で明らかにされてきたことがある。真の体力とはビジネスの規模でもなければ、単なる経験の集積でもなく、企業活動を支え導く理念と目標を勇気と行動力によって形にしていくリーダーシップとそれを支えるシステムにほかならないという事実である。それらが不十分な企業は規模の大小に関係なく破たんすることを私たちは十分学習してきた。 政治の世界では一部の政党を除いて離合集散を繰り返し、いまだに国民の多くを納得させていないが、離合集散の発火点は常に現代という時代が持つ意志を読み解く感性と知恵を質すという形でなされてきた。その過程でリーダーの交代が繰り返されると共に、歴史的使命を終えた政党、例えば社会党(現社民党)、新党さきがけ、日本新党、新進党などが消えていった。自民党内の公然たる反小泉の動きは、時代の意志がいよいよこの党に働き始めたことを教えている。 行政の世界の最も大きな動きは地方分権の流れが現実味を増していることだが、言うまでもなく自治の根源とは自らの足元をしっかり見つめ、豊かなメッセージを発信することによって人や情報を呼び、結果として地域にお金を呼び込む生活スタイルを構築することである。これはビジネスの根本原理であるが、実は自治の根源を固めるための王道でもある。市町村合併もこの王道をはずして成功はない。 小泉改革の先にあるもの 言うまでもなく、市町村合併も小泉改革の一環にある。というよりも、小泉改革自体が市町村合併を含む時代の意志を本気で形にしようとする初めての試みだと考えるべきだろう。では、そもそも時代の意志とはいかなるものであろうか。小泉改革の向こうにはどんな社会が待っているのであろうか。私は、かなりの期待を込めて、将来次の四つのテーマが社会を動かす意志になると考えている。 (1)官民を問わず、すべてのシステムの中で構成員たる個人の価値を重視し、彼らの創造性を最大限発揮させようとする原則が働くこと。 このような社会を創り上げるには、主役たる個々人の資質や能力を質し、かつ育て上げなければならない。企業の現場では、すでに採用方法が多様化し、人材活用のための評価方法を改訂するなど、雇用の合理化や組織の活性化を目指す動きが活発になっている。私は現在大学の就職部長をしているが、本年に入って企業が学生を見る眼が一段と厳しくなり、学力よりも個性や良識など人間力を鋭く観察されるようになった。 前世紀末には、主に政治やビジネスの世界でリーダーの資質や能力が試される機会が続いたが、これからはリーダーを支えるべき人々、あるいは多くの市民の資質や能力が試される機会が増えていくに違いない。市町村合併はその格好のフィールドになるだろう。 (2)国際社会で各国が独自の伝統や歴史文化を育て合う中で、日本のアイデンティティを明確にしていく力が働くこと。 いわゆる靖国神社参拝の実施はこのような社会を指向する小泉首相の意識が表れたもので、この意志を実現しようとする過程で歴史や文化に関わるさまざまな問題が炙り出されるであろうことを予告したに過ぎない。これは国際化の進展が必然的に引き寄せるテーマであり、私たちに一段高い良識を求めることになるだろう。同じ力が地域に働くことは多言を要すまい。 (3)地域の独自性と責任を積極的に認め、単なる格差論を超えた、より人間性が豊かな生活を創ろうとする意志が働くこと。 これは、(1)(2)の必然的帰結でもある。このような社会を描き出すためにどうしてもクリアーしなければならない問題がある。それが公共投資や特殊法人など地域格差を埋めることを大義名分にしてきた主役の見直しであり、廃止、民営化などの問題である。これらは人を生かし、お金を生かすという社会運営の基本に関わる問題で、格差や人権にこだわる価値観を止揚できるかどうかが試されるという意味で、極めて根源的な社会問題である。陰に陽に既存の価値観や常識がゆすられるわけであるから、当然のことながら最も抵抗が大きい問題でもある。地域のすべての住民にとって避けて通れない問題で、市町村合併はこの意志を理解できるか否かで成否が分かれるといってもよいだろう。 (4)環境問題や食料、エネルギーの問題などを解決する高度な科学技術の研究開発が地球レベルで追究されること。 これらの問題を解決する技術の開発競争は初めから世界レベルのフィールドを前提にしている。そこでの共通規格を目指すハイレベルでシンプルな技術開発が今世紀前半の人類が背負う最大のテーマになるだろう。 また、この技術開発はそれ自体新たなビジネスチャンスを生み出すほかに、新しい経済活動や生活習慣の基盤を創りだすという使命を担っていることに留意する必要がある。つまり、すべての存在の調和を目指す、新しい文明への扉を開く役割を果たすものでなければならないのである。 想像力の覚醒 いかなる時代、いかなる地域においても、文明を支える構図は同じである。 図に示した三つの要因、「人間の創造力」と「技術」と「システム」は人間社会を支える基本要員である。これらは私たちの諸活動、例えば企業活動、産業活動、政治活動、行政活動、そして身近な生活活動や文化活動に至るまで、すべてを支え動かしている。その主役が「人間の創造力」であることは言うまでもない。 この関係をベースに、本来あるべき調和の実現に向けて社会的諸課題を解き起こし、その解決に向けて努力するのが行政活動であるが、市町村合併はそのフィールドを拡大して新たな調和と活力ある「生命場」を創り上げるチャンスである。 そのチャンスを現実のものにするためには、「人間の創造力」を覚醒し、点火しなければならないが、それには私たちの心が持つ底知れぬパワーと、それが現実の生活の中で新たな価値を生み出すメカニズムを知らなければならない。図の中心に「心」を置いた意味はそこにある。 私たちの心はエネルギー体であるが、エネルギーにはそれが働く方向とパワー(レベル)がある。自分の心をどんな方向に向けて生きるかは百パーセント各人の自由に任されている。だから、私たちの行き方が問われるのであり、それを導く思想や価値観が質されるのである。特にリーダーが自らの心をどの方向に向けるかによって、行政活動であれ、ビジネス活動であれ、すべての事業の成否や関係する人々の幸不幸が決まることをしっかり認識する必要がある。 心のパワーとは「念い」の強さであり、心が秘めている創造力のことであるが、具体的には目的を実現する熱意と実現に向けた条件づくりの知識や知恵を整えることである。言い換えると、ヒト、カネ、情報、技術、組織などのマネジメント要因を目的の実現に向けていかに呼び寄せるかということである。これが地域づくりの要諦であることは言うまでもない。この関係を図に示すと次のようになる。 言うまでもなく、中央にある「ヒト」が他の四要因を生かすことですべての創造的活動が生まれる。そして、この「ヒト」が四要因を呼び寄せ、目的に向かって創造的に生かせるか否かは彼の心の自由性と創造性の在り方で決まるのである。例えば、すべての国民が物質的に豊かになることこそ何よりも重要なことと考えたから、カネも情報も技術も組織もその目的に向かって一直線に働き、高度経済成長が実現したのであった。また、五十五年体制の下で社会主義的平等観が人々の常識として浸透したから、産業振興策も地域振興策も格差の解消に向けて体制化され、いわゆる戦後システムが完成したのであった。 しかし、今や高度経済成長を支えた「カネ」と「ヒト」と「組織」を結ぶ中心軸は根本的な反省期に入り、小泉改革の中で翻弄されている。ヒトも組織も、そして地域もまたアイデンティティの形成が最重要課題となる社会において、創造的活動を支える中心軸は間違いなく「技術」と「ヒト」と「情報」を結ぶものになると思われる。従って、私たちが市町村合併を考える場合においても、図に示した横軸を中心にしてカネと組織が付加価値を生み出す方向で構想していく必要がある。 仮に地方がこの横軸を中心にして産業の在り方を考えると、様相は一変する。現在のように「カネ」と「ヒト」と「組織」という都市を動かす軸を持ち込んで産業を考えると、「ヒト」の集積が少ない地方では一次産業、特に農業と観光産業ぐらいしか考えられない。しかし、もし「技術」と「ヒト」と「情報」を主軸に地方の産業を考えると、さまざまな可能性が生まれてくる。「技術」と「情報」は「ヒト」の集積を必要としないからである。それらは共に個人の創造性によって価値が生まれるものだからである。 このような観点に立って地方の産業を考えてみると、ソフト産業、企画産業、教育産業などが直ちに考えられるし、コミュニティービジネスなども正当な評価を得ることができるようになる。何よりも重要なことは、これらの産業はすべて地域のアイデンティティを生かし、それらによって新たな付加価値を生み出す場になることである。 北海道には分かりやすい事例がすでにある。富良野市である。この地に倉本聡という著名な劇作家が居を構え、富良野を舞台に「北の国から」というテレビドラマを発信したことによって、富良野に新しい物語が付与され、地域全体に大きな付加価値生産性が生まれたのであった。観光収入も増えたであろうが、それ以上に富良野に住む人々の心に密かな自信と楽しみを芽生えさせたであろうこと、これが地域の将来に可能性を開くと思われる。 創造力の点火 北海道において新しい産業を創造することは、多分明治の開拓以来のテーマではないかと思われる。北海道経済の自立が言われて久しいことは誰もが知っている。しかし、本当の意味で自立のイメージを描いたことはあるだろうか。 地域経済の自立を額面通りに受け止めると、「地域社会に意思決定能力のある経済システム」を創ることであるが、周知のように中央政府依存、公共投資依存の体質が染み込んだ北海道ではついに今日までそのようなシステムを戦略的にイメージ化することすらなされてこなかった。戦略的という意味は、地域経済の意思決定能力は経済的局面ばかりでなく、政治的・行政的局面や生活、教育、文化、環境などの社会的局面も視野に入れて考えなければならないという意味である。 この意味で市町村合併は自立を目指して地域の創造性を戦略的に考えるチャンスなのである。そのチャンスを生かす上で最も重要なことは時代の意志を汲み取り、その力を積極的に利用することであるが、前述したように、その意志は個人であれ、企業などの組織体であれ、それぞれが持つ多様な個性の存在価値を認め合い、それらの創造力を最大限尊重するというものである。個性は人間に限られるものではないが、すべての生命体の中で人間のみが新たな付加価値を生み出すことを考えると、先ずは年齢性別に関係なく地域の人々の創造力を多様に覚醒させることが重要である。 その手がかりは、言うまでもなく私たちの日々の生活の中にある。しかし、経済の高度成長という成功体験から抜け出せない状態では、小さく生んで大きく育てるという意識はなかなか定着しない。現在の北海道は隅々までその過渡期にあると思われる。ベンチャーという掛け声はあっても、具体的に姿が現れないのはそのためであろう。 ここで日常の生活体験の中からビジネスとして事業が育つ過程を振り返ってみたいと思う。私はそれを「創造のサイクル」と呼んでいるが、これには二つの過程がある。一つは生活の中で生まれた「仕事」が社会に受け入れられる可能性を持つまでの過程で、仮にA過程と言っておこう。ここは、自分が置かれた環境の中で時間を大事にした生活を工夫したり、無駄なお金を使わないような知恵を働かせたり、あるいは身近な材料で便利な生活用品を作り出したりしながら新しい「仕事」を生み出すという世界である。いま一つの過程は社会的価値を持つと見られる「仕事」を事業化する過程で、仮にB過程としよう。A過程は生活者であれば誰にでも用意されている過程であり、同じように企業が新たな事業分野を切り開こうとする場合にも、このような課程を経ることが多い。B過程はコンサルタントなどのプロの指導によって実現可能性が試される過程である。ここでは特に資金の制約をどう克服するかが重要なテーマになる。 実は、北海道の官依存体質が否定的に語られるのは、これらの「創造のサイクル」が育つための芽がその体質によって摘み取られて来たからである。A過程、B過程とも人間の創造力の発露とも言うべき知恵によって成り立つのであるが、官依存体質が支配する社会では知恵にお金を払うという資質が育たない。多くの道民が役所の無料情報でほとんど間に合うと考えてきたからである。私はこれが北海道の決定的な弱点だと考えている。 地域の人々の多様な創造力を覚醒させるためには、特にA過程に点火する必要がある。人々が日々の生活の中で生み出す知恵、つまり創意工夫を新たな仕事、個性的な仕事を作り出すチャンスとして評価し、その意味や価値を地域の中で位置づけることが最も重要なことではないだろうか。 最近、やっとコミュニティービジネスという形で、地域における素朴な事業化の試みが評価されてきたが、これらの試みは、個々には、決して地域の経済を発展に導くような力を持つものではない。しかし、事業化を目指す試行錯誤の過程で、目的に向かって挑戦する人々の生き生きした笑顔こそが大事なのである。これらの小さな事業(私はこれを地縁産業と呼んでいる)にとって当面のマーケットは自分たちが暮らす地域であるから、市町村合併はこのマーケットを拡大するという意味を持つことになる。 つまり、市町村合併を進めると同時に、これらの小さな試みに積極的に点火し、その広がりの中でそれぞれの町村が蓄積してきた生活文化資産、歴史資産あるいは自然資産等の価値を再確認することが、合併を成功に導く要諦であると思われる。逆に、合併を目指す市町村がお互いに平均値に合わせようとする指向に囚われると、成功は望めないだろう。何故ならば、すべての参加者が欲求不満の状態に置かれるからである。 北海道地域新生プロジェクト 今後の経済社会の在りようを考える場合、最も重要なキーワードは「成長」である。それはかつてのような単線的な上昇を目指すものではなく、生命環境の調和を実現しながら新たな付加価値を生産する大小さまざまなサイクルが重層化することを通して経済的パワーを高めていくものでなければならない。つまり、進歩と調和の同時実現である。 そのためには、「経済の成長」や「社会の発展」という言葉の意味内容を根本的に変え、新しい目標を定めて真の豊かさを追求する姿勢を何としても堅持しなければならない。では、物質的に豊かになった社会の新たな発展とはいかなるものとして描かれるのであろうか。 例えば、生活のレベルを落とさずにエネルギーや資源のリサイクルの輪をより拡大することを発展と考える価値観が先ず必要ではないかと、私は考えている。リサイクルの輪が拡大するということはその過程で新たな付加価値が生み出されることを意味するから、当面はこのことを目標に地域における可能性の芽を発掘することから始めてはどうだろうか。 そのためには、当然のことながら、リサイクルの輪の拡大を支える技術開発が不可欠であるが、すでにその道は開かれている。私自身がこの十数年間深く関わってきた技術開発であるが、あらゆる有機物を土壌の肥料にする装置が開発され、現在明治乳業の群馬工場で一号機が稼動している。同工場内で発生するすべての有機廃棄物を肥料化するもので、処理された肥料は三井物産が販売することになっている。もちろん世界初の装置である。道内ではこの秋に幕別農協に試験機(明治乳業で使われたもの)が導入され、実証された。 このように大きな付加価値生産が期待されるものばかりでなく前述のように、現在、地域で生産される農産物や水産物の企画外品を加工して漬物や調理品として販売する試みが各地で行われるようになっているが、これらもリサイクルの輪を広げる一翼を担っており、ささやかでも新たな付加価値を生産しているわけで、長い目で見ると、地域の発展についての新たな価値観の形成に寄与する可能性を持っていると思われる。何よりもこの過程で人々の心が輝くことによって、彼らの意識を変えていくことが重要なのである。 このような大きな可能性や小さな輝きの広がりを土壌にして、農業ビジネス、観光ビジネス、環境ビジネスなどを域内で循環させ、新たな価値の発掘と発展を目指すと共に、この循環の中から新たなモノづくりの芽を発掘することが、今後地域活動に求められていくだろう。言うまでもなくこれは雇用のチャンスを広げる道でもある。 これらの地域活動を支えていくためには、地域の企業家はもとより住民もまた、地域の歴史が築き上げてきたアイデンティティ、例えば伝統、文化、習慣、技術・技能、商品、自然などを地域社会の安定や安全、あるいは調和ある発展のために提供することを競い合う体験を通して、改めて地域に生きる自信と誇りを育てていく思想、態度を必要としている。地域の産業と文化と生活を一体化した発展モデルを自ら描くべき時が来ていると考えられる。 ちなみに、幾つかの検討すべき課題を上げてみよう。 @ 観光を切り口にして福祉、住民サービス、各種施設、道路建設などを検討し、地域全体としての生活圏の質やサービスを大きく向上させること。 A 農漁業生産の二つの局面、域外販売による地域経済拡大への貢献局面と域内循環による地域文化の向上局面(例えば、地産地消)のそれぞれについて付加価値生産性を検討すること。 B 農業と食品関連産業との連携(リサイクルの関係なども含む)の在り方について検討すること。 C 広域のごみ処理を軸に、環境に関連する仕事とそれが資源の域内循環に果たす役割や意味を検討すること。 以上述べてきた考え方に立脚して、付加価値を生み出す市町村合併の在り方を提案しようというプロジェクトが、昨年の四月に立ち上げられた。「北海道地域新生プロジェクト」である。十数年前から着実に活動を積み上げてきた北海道産学官研究フォーラムの「北海道GIS・GPS普及推進研究会」を母体として設立されたものである。同研究会の幹事会社である北海道地図梶A潟qューネスに加えて、マーケティングや地域活性化プランナーである潟Nレオ・ムイナス、良心的な提案をすることで知られる月刊誌ISMなどが主要なメンバーで、私が代表を務めている。 具体的には、羊蹄山ろくに広がる倶知安、蘭越、ニセコ、京極、喜茂別、真狩、留寿都の七町村を対象に新たな付加価値を生む広域的な連携の在り方を構想中であるが、従来のこの種の構想と違うのは統合型GISによる分析手法を積極的に活用すると共に、図や写真、あるいは言葉による将来像の提示によって住民の興味と理解を深めることに主眼が置かれていることである。 また、この活動を今後とも息長く続けていくために、本年度にはNPO組織に衣替えを図る予定である。 結び 昭和の始めから脱却すべき課題として問題視されてきた官依存体質。この体質を脱ぎ捨てる絶好のチャンスが市町村合併である。その過程では、当然のことながら自治体やビジネスの世界において地域のリーダーが選別されていくであろうし、住民の意識も鋭く問い質されることになるだろう。 しかし、市町村合併を契機にそれぞれの市町村が自らのアイデンティティを一層磨き、その上で多彩は個性体が一つになることで、例えば観光面で新たな魅力を発掘して欲しいと思う。そして、新たに広げられた地域マーケットで住民が主役になった付加価値生産の試みが様々に展開する姿を楽しくイメージして欲しいと思う。
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