千歳空港開港75周年・民間航空再開50周年記念事業
特別シンポジウム
北海道グローバルマザーエアポート構想
と新千歳空港の役割


東京海上研究所 研究顧問 下河辺 淳氏

 

 
年齢を取って足腰が弱くなり、こうやって腰を掛けて皆様にお話をすることになりまして、失礼とは思いますがどうぞお許し下さい。

私がなぜこんなに年齢を取っても、千歳へお邪魔して北海道の未来を語らなくてはいけないかということは、とても疑問があります。もっと若い人が語り合うべきで、私のような高齢者が語る時代はもう終わったと思いましたが、私がお話する前に、いろんな方々がこの舞台に立たれて活動的な様子を拝見しましたら、ますます北海道は大丈夫だと思い、私の役割はあまり無いと自信を持つに至りました。そして私は、戦後50年の間に北海道の歴代知事と親しくお付き合い頂いて、北海道について語り合うことがとても多かったと思います。そのことについて少し想い出話をしますと、今の北海道は、もう完全に変化して来ていますが、私が付き合った北海道というのは、明治政府以来の屯田兵の入植の時代であって、100年祭の時も「風雪に耐えた100年」というようなことを言っていたのはつい先達てのことでした。もう完全に代が変わって、風雪に耐えながら北海道と取り組んで来た人達は、もう既に高齢者にもなり、お亡くなりになった方も多くて、その後の北海道で生まれた若い人の北海道が出来上がっていると思う事は、とても快適な話であります。ただ、太平洋戦争が終わってから冷戦時代に入った時に、なぜかソビエトが日本へ侵入して来るという危険を感じて、これを日米安保の下で何とか守らなければいけないと、そこで北海道の北半分に侵入して来る事を前提に、如何に戦うかという安保条約の下での仕事をしたことが思い出されます。ただ、それも冷戦が終わって、ソビエトが崩壊して、ロシアと北海道との関係というものを新たに作っていく時代が来て、その新しい北海道とロシアの関係をオホーツク海文化ということを理解しながら、北海道の先住民たち、特にアイヌの人達と共に語り合う時が来たということは、断然違った北海道が見えて来ていると思うわけです。そういった北海道の戦後50年、そのような国際関係にありながら、我々は日本経済の発展のために北海道の石炭がなければ成り立たないということで、北海道というと石炭と思い、小樽から始まって苫小牧の港に至るまで石炭ということを中心に岐路を進めて来た時代でした。同時に木材であるとか、あるいは食料を資源として、日本への供給基地として北海道というものが評価されていた時代が戦後長く続いて、その役割を全うされていましたが、石炭も輸入に任せることになり、食料も海外からの輸入で賄うことになり、北海道に来てお寿司屋などへ行っても、北海道産の物は珍しいという形で食べているのです。輸入された魚を、北海道まで来て食べるのも如何なものかと思うような変化もして来ているということですが、そういう時代を超えて、やはり北海道自体がグローバルというテーマに挑戦するというような時代に来ています。北海道について、これまでのように冷戦という時代で考えたことや、資源として考えるという時代を乗り越えて、今では北海道自体が日本の北の果ての遠隔地であるという時代では全くなく、やはり世界の北海道ということを自慢できる北海道のビジョンを必要として来ているということは明らかです。北海道というのはそういう大きな歴史の変化の中にいます。その時に、10年前くらいから、北海道がグローバリゼーションを達成するためには、やはりハブ空港というものを作らなければダメなんじゃないかと、そのグローバルなマザーエアポートというような構想を若者たちと論争を重ねた時もありました。千歳の青年会議所なんかと大きなディスカッションをしたことも思い出にあります。今ここで75周年という記念すべき日が来たということになり、はじめて75歳を越えた私がやって来る意味があったのだと思っております。千歳飛行場というのは、私が生まれてから今日までの歴史をそのまま映したような感じであることに、特別な親しみを感じているわけであります。そのように感じている時に、北海道の皆さんが、グローバルな北海道、それに一番基本的なインフラストラクチュアは国際的なハブ空港であると言われていることは、こんなに素晴らしいことはありません。おそらく100年経ってみた時に、北海道の人たちは集まって「我々の先祖というのは、よく、まあ、千歳を中心にハブ空港を作っといてくれたものだ」と言って感動するだろうということさえ思うわけであります。21世紀、22世紀を通じて千歳を中心とするハブ空港の建設というものが、これからたくさんの問題も出て来ますし、否定する意見も出るでしょうが、これは歴史的な運命として、北海道の皆さんにはどうしても成功させて頂かなければならない問題であるということが私の基本的な態度であります。

ただ、今、アメリカにテロが起きて、そして飛行機がハイジャックされ、飛行場が占領され、そして貨物によってもいろいろな人間への害を輸送するということにもなって来ました。したがって航空機業界というのは、アメリカではなかなか苦しい状態にあるということが現実になっておりますので、千歳をハブ空港にするということが、それらの問題とどう関連するかということは、やはり徹底的に心配して良い問題だと思います。特に日本は来年ワールドサッカーを開催しますから、不定な族が“応援”という名前を借りて日本に入って来る可能性は無いとは言えないので、その時に狙うとすると、千歳が一番狙い易いのではないかと思われます。(こういうことを言うと、非常にまずいのですが)北海道の自然の条件がテロに適しているのです。他は大都市に近接した飛行場ですから、警備の仕方から住民の対応の仕方まで、ある程度整う可能性がありますが、この北海道の地域でこういうテロやハイジャックに対して、どういう対応をするかということが私にはとても気になっているところです。それにも関わらず、私が千歳ということに興味を持ちますのは、75年経って、そして50年経って、今日の千歳を見ていてもとても素晴らしいことがいっぱいありますが、私が特に重要だと思うのは軍と併用していることであります。これからのグローバルな飛行場というものは、特にハブ空港というものは、軍が管理していなければ成り立たないということさえ考えなければいけません。私は千歳のハブ空港というのが“軍民一体”となって作るということの重要性を皆で認識しなければならないと思っています。今やテロに向かって小泉内閣はいろいろ骨折っていますし、アフガニスタンのことで議論し始めていますが、私は千歳をハブ空港にするということになると、テロやハイジャックということも当然ながら、やはり安全・安心をテーマとして軍の力を借りないわけにはいかないと思っていることも申し上げておきたいのです。

本日は、そういう北海道をめぐる千歳ハブ空港ということで議論したいのが中心のテーマですが、やはりグローバルな発展をする北海道にとって、小樽〜札幌〜千歳〜苫小牧〜室蘭〜函館までの様なラインというのは、日本の中でも、あるいは世界の中でも非常にユニークな文化を持った地域であり、これらのベルト地帯がどのようなビジョンを持つかということと、それに千歳のハブ空港というものが完全に一体のものとして議論されなければ面白くないのです。そして更にハブ空港論に触れてみますが、皆さんご専門ですから、私から言うことは無いのですが、日本にはハブ空港がありません。関空とか成田とか、今造っている名古屋というものがハブ空港として話しておられる方がいますが、私からすると成田も関空も名古屋も、単なるその土地のローカル空港であって、国際便が出たり入ったりするから国際空港となっているだけで、それがハブ空港というのは間違いです。関東中心の成田、関西中心の関空、中部圏中心の名古屋というローカル空港が出来たということは素晴らしいことではありますが、それをグローバルなハブ空港ということにはならないと特に申し上げたいわけです。日本という国にはハブ空港やハブ港湾はいらないという意見さえ出て、政府としては「五全総の中ではハブ空港とハブ港湾には触れないでおいた」と言っています。触れないのは「無い」というのは忌々しいけども、「ある」ということにはならないんじゃないかということから、政府の国土政策の中では、どうもハブ空港・ハブ港湾を言わない状態になっています。しかし、21世紀・22世紀に日本列島にハブ空港もハブ港湾もいらないということで果たして済むであろうかと、私はとても気になっています。今、韓国政府が「日本列島のような地形の中で、無理してグローバルなハブ空港をお造りになる必要はありません」ということをわざわざ言って来て、「その代わり日本列島の北から南まで、全部ソウルの国際空港でお引き受け致します」とまで言っているのです。そして更に、韓国政府は「日本列島16地方空港を、ソウルのハブ空港のスポークのターミナルとして契約が終わりましたのでご心配なく」、「どちらの方も皆、ソウル経由で、グローバルな航空線に乗ることで十分でないでしょうか」と言っておられまして、私はソウルの空港がどのように建設されるかに関心を持ちました。関西の著名な人達の間でも「関空も、ちょっと無理なので、ソウルをターミナルにした方が良いのではないか」と言ったりしていて、日本の中にもそういうこと言う人が出て来ているのです。北海道の中でも「こんな面倒くさいハブ空港をやらないで、ソウル便を十分活用すればその方がやり良いんじゃないか」という意見もあります。「ハブ空港というのは、所詮、日本のような地形の中では迷惑施設であって、住民の反対を受けながら迷惑というのを押し付けていく必要はないのではないか」という議論さえ出ているというのが今日的な特色です。しかし私は、やはり日本の国が、北海道にハブ空港を持つ必要がどうしてもあると思ったりしています。九州の人達も、九州にハブ空港は絶対持ちたいと思っていて、時によっては、九州は日本から独立する国家になりたいとも思っています。「独立した九州に一番必要なインフラは国際空港である」と言っている人がいます。国内的な開発としては、九州は7県あるのに“1県1国際空港論”というのが各県知事さんの間でオーソライズされていますので、今、1県1国際空港が滑走路1本という形で出来そうです。私は九州の各県知事に申し上げたのは、「7本出来る滑走路をマネージコントロールするのに一つのターミナルで出来ないだろうか」ということ、そして「国際的なハブ空港という滑走路が点々と散らばっているけれど、マネージメントは一環したもので、一つの九州ハブ空港って言えないか」ということですが、それに対して「それは良いですね」と言った人もいますが、何か疑問を感じた人もたくさんいまして、現在その話はそのままになっています。北海道の場合には、北海道も独立というテーマもあるかも知れませんが、しかし千歳をベースとした国際ハブ空港論というのは、これから論争として、非常に楽しみなテーマであることは間違いないと思うのです。その時に国際ハブ空港の面積というのが議論になり、日本にある成田とか関空とか名古屋空港というのは500ha位の規模で、それで拡大しても1,200ha位ということで考えていることが日本の国土の制約条件であります。しかし世界のグローバル空港を見ていますと、現在あるものでも1,000ha1,200ha位の規模です。ヨーロッパ、アメリカでも国際的な飛行場といえば1,000haというのは当たり前であるという辺りからも、もう既に日本ではそれだけの大きさは確保できないという限界を感じているのです。これがヨーロッパやアメリカで将来の国際ハブ空港の議論をしますと、3,000ha4,000haというのが今や常識で、大きいものは10,000ha12,000haなければハブ空港は出来ないということにまでなって来ているのを考えると、日本ではちょっとそれだけの規模の空港を造るということは無理で、成田とか関空の様子を見ていても1,000haということさえも上手く行かないと思うわけです。

そんな時に千歳の空港の議論をしていたら、幸か不幸か分かりませんが、苫東の開発が行き詰まってしまいました。そもそも苫東の開発というのは「北海道にも重厚長大型の工業の基礎を持とう」、「せっかく石炭もあるのだから」という様なことで、苫東開発というものの議論を始めたわけです。どうも日本の経済自体が重厚長大型ではないということになったために、苫小牧が最初に考えた構想は打ち止めになってしまうという結果になってしまいました。その次に出た構想とは、それではやはり新しい産業構造ということで、二つのテーマが出て来て、一つはハイテクでIC型の産業群ということが出て来ました。もう一つは20世紀の現代医学というものに限界を感じたために、現在は21世紀型の第3医学を作るということが世界的な共通の話題であるので、そのセンターを苫小牧に作ってはどうかということで、このことをアメリカと一緒に議論したことがあります。そういう時に、千歳を拡大して大きな10,000haという規模の国際空港とその産業群を立地してはどうかということも、苫小牧を議論する時の話題になったのはご承知の通りであります。何せ財政的な破綻をし、北海道庁としても中々そう簡単に面倒を見切れないという状態にまで陥りましたので、現在は苫東というプロジェクトの財政再建ということが先であり、再建した後に夢を語るのは良いことだけれど、再建中に夢を語るということは場合によっては不謹慎ではないかということもあり、ここ5年〜10年というのは苫東の財政再建のために努力して行く時代で、その先が見えて来たら5年後、10年後に苫東の未来のビジョンを語り合おうと。その時にはハブ空港という様なことや、あるいはハイテクランド、シリコンバレーということや、あるいは第3の医療センターという事などいろいろとあるのではないか思いますが、それを楽しみにしながらも「まず再建を」ということが現在だと思っています。そこでもやはりハブ空港ということは提案として冷えておりませんから、これも一つの将来に向かっての苫東の話題であり、千歳─苫東をつないだ形でマザーエアポートを造るとすれば、面積的には10,000haの規模を確保することが可能なので、世界のハブ空港の規模に追いついた議論をすることが出来るのではないかというのは、楽しみな材料であるわけです。そういうようなことが今日の議論の中にあっても良いかなと思ってお話しているわけですが、75年というものが伊達や酔狂で過ぎたわけではなくて、これが今後75年どころか、750年という長さで北海道の歴史が作られて行くというふうなことを語り合うことが、これほど楽しいことはないのです。今日のような会を通じて、千歳や北海道の方々が徹底的に夢を語り合い、夢を持って頂きたいというのが、私が言いたい結論であります。夢を持っていないという所は、結局考えても実施出来ない、実らないのであって、夢を語り続けている間はちゃんと将来は開けて来るということを信頼して、今日ここで千歳を中心として苫小牧を含んだハブ空港論ということを、活発に皆さんと議論することの意味はとても良いということを思うわけであります。ただその時に、幾つか私から細かい注文をしておきたいのは、空港ということで空輸ということですが、陸運とか海運というものとコンビナートを組まなければ、ハブ空港の役割は果たせないということは明らかです。陸運や海運とどのように繋ぐかということを、北海道の開発のプランの中で徹底的に議論する必要があると申し上げたいと思います。それからもう一つ言いたいのは、今まで、とかく空輸というものは“旅客”であって“貨物”ということを考えることは少なかったというのは明らかで、貨物はコンテナとして船で運ぶということになっていて、これからも船でコンテナを運ぶということは続くでしょうけれども、しかし航空によるものがどんどん増えて、これからますます航空というのは旅客ということを考えながらも、貨物輸送ということが大きな役割になるということが言えます。その時に、空輸された貨物というものを処理し、管理するということをどの様な業務として行なうかということがありますが、日本の飛行場の大部分は、貨物で飛行機が来るということを前提にした飛行場が殆どありませんから、膨大な貨物が飛行機から降りて来てしまうと、その処理は殆ど不可能ということが明らかです。

ここで話題が横道に逸れますけども、黒澤監督の「乱」という映画を製作するときに、九州・大分の阿蘇山の所でロケをしたのです。その時に膨大な数の馬を使わなくてはいけないという時に、「映画に使えるような格好の良い馬は日本にいない」ということでした。「日本には競馬馬みたいなのしかいないので、アメリカで労働に使っている馬をたくさん運んで来て、それを映画のロケに使いたい」と黒澤監督が言い出して、私は彼とちょっと縁がありましたので、彼は私に「アメリカの馬を二百頭くらい九州へ運ぶのに世話をしてくれ」と言って来ました。私は「船ではダメですか」というと、黒沢監督は「船なんか使ったら、乗っている間に痩せてしまって使いものにならない」、しかも「そこにエサと医者を付けるために膨大な費用が掛かるので、アメリカから直接九州に馬を運びたい」と言うのです。私はすっかり弱りまして、「鹿児島が良いのではないか」という私の提案に、鹿児島県側は「反対」と言ったと同時に、黒澤監督の方も「鹿児島から大分まで輸送するお金はない」と言うのです。「それではどうすればいいんだ」となったら、「福岡空港に降ろしてもらわない限り商売にならない」という言うのです。それでしょうがないので、福岡空港の空港長に話しましたら「それは大変なことだ」と最初は言ったのですが、それが良い按配に空港長が黒澤監督映画の大ファンだったので、「黒澤さんが言うのであったら協力しなくてはいけない」と言ってくれたのです。それで上手く行くと思ったのですが、しかしそれには条件があり、「住民運動の中で空港を管理しているので、住民と語り合って住民の了解を取って来ないと自分としてはOKと言えない」というのです。私は「情けない空港長だな」と思いましたけども、仕方がないので住民代表と会いまして「黒澤監督がこういうことをやるために馬を入れたいのだけれど、空港側で馬の検疫をしてもらわなくてはいけないし」と言うと、そこで騒然となりまして、住民の集まりが大モメになりましたが、2時間くらい語り合っているうちに両方がくたびれて来て、「これは例外ということでやるのであったら仕方がない」ということになって、やっと了解が取れました。それで黒澤監督も喜んでくれて、ロケが出来て、あの「乱」という映画が出来上がったのです。この話は国際的な空港論としても面白いと思ってご紹介しました。

そして、貨物ということが非常に大きな量になって来ると、従来型の、日本の都市にサービスする、都市に近ければ良いということで、お客だけを考えた空港では全部処理することは出来ません。やはり都市から離れて、輸入する貨物を処理できるスペースということが重要であり、しかもその貨物の中の大半のものは動物であったり、生鮮食料であるということで、検疫が十分出来て、しかもデリバリーのための積み替え作業が十分出来て、ある一定の期間冷蔵した倉庫群というものが要ると考えると、なかなか今それが出来る所はありません。ちょっと面白いのは、成田空港ということで考えていますが、お客の方にしてみると多少遠いということがあるために、専門家の中では「もし許されれば、貨物だけ成田でお客は羽田という方が、お客にとっても貨物にとっても良いのではないか」という意見が出ております。しかしそれに対して千葉県や成田市は、「貨物の迷惑だけ受けて、お客は羽田に行ってしまうということは許されない」と意見を述べておられますから、どうなるかわかりませんが、しかし貨物というものが入って来る飛行場というのを考えた時に、千歳がそういうエリアをどの地域にどういうふうに持つかということは、ハブ空港の設計にとって重大な問題であり、北海道へ輸入された生鮮食料・その他が、全て千歳でデリバリーなパッケージに包んで日本中に輸送されるということがあっても不思議ではないので、貨物ということがこれからは飛行場にとって、とても大きなテーマであると言いたいのです。

実は、千歳について、ハブ空港論で議論し、航空会社の皆さんとも議論しましたが、航空会社との議論というのは、「日本の場合は需要があったら拾いに飛んで行くというシステムなので、需要がない所へは航空は行かないというのが営業上常識だ」というので、そうなるとハブ空港論には、ほど遠いと思ったわけです。ハブ空港というのは需要がゼロなわけで、ハブ空港が出来るから巨大な需要が出来るわけで、あらかじめ需要がない所へは飛んで行かないという考え方だと、千歳を日本の航空会社が全面的にバックアップして来る可能性は非常に低いのではないかということを、かつて議論したことがあります。しかし今日になると航空会社も随分と変わって来ていますし、グローバルなネットワークの一環として日本の航空会社も参加するとすれば、ハブ空港との繋がり方という議論がとっても重要になるのは当たり前のことです。要するに、ハブ空港の旅客の予測というのは非常に推定することが困難です。それはどうしてかと言うと、技術的な推定の議論になりますが、ハブ空港を造るという発起がなされて、それから企画調査がなされて、そして設計が出来て、そして工事が始まって、そして飛行機が着陸して来るというプロセスは避けられませんが、それは5年や10年の事業ではありません。10年、20年、下手をすれば50年という長さで需要と対決しなければなりませんが、経済の予測というものは早くて「今年はどうなる」というくらいでも大騒ぎをするわけです。3年で「やっと」というくらいで、5年の経済計画では、「あまり意味を持たない」というのが最近の状態で、これが10年なんてなると「分からない」というのが経済予測の中心になってしまっているのです。これも話題から逸れますが、本四架橋を3本作るという時に、「無駄だ」と言う経済学者がたくさんいました。無駄の根拠を聞きましたら、「交通量が少なくて、運賃が高くなって採算が合わない」と言ったのです。そこで私は「へー、そういう計算って出来るのですか。どんな計算をしたのですか」と聞いたら、「経済が昭和60年の目標しかないので、“昭和60年にどうなる”という計算だけをした」と言うのです。それで私が「橋はいつ完成するのですか」と聞くと、「昭和70年代に完成する」言うのです。「完成前の昭和60年の交通量の予測をして、そんなの意味があるのですか」と聞くと、「いや、意味はないけれど、やらなくてはいけないからやった」と答えたのです。千歳のハブ空港も、経済からの需要ということで言えば、私は問題にならないと思っていまして、それにも関わらずハブ空港が着実に出来て行くということが見えて来ると、ハブ空港を目掛けて群がってくる経済・産業・企業というものが、ちょっと今は想像出来ない状態になって来るに違いないと思っています。そうなると「私も最初からそう言っていた」なんて言う人がたくさん出て来ますけども、そんなことを言える知識というのは人間には無いのです。それにも関わらず、こういう大規模な社会資本というのは、それを示して来ることを楽しみにするということを本日は少し言っておきたいのです。経済的に無駄だからという様な、現在行なわれている公共事業論は、社会資本として議論したことから間違ったのです。資本という限りは、5年や10年で元を取らなければ資本とは言えないというところからそうなったので、「とても採算が合わないものは、やってはダメ」という、社会資本の無駄な投資論というのは空しい議論です。これから日本人が持つ大きな夢を達成するためにも、社会資本とは言わない公共事業、インフラストラクチュアというものに挑戦することをやらなくてはいけないのです。これを考えると、経済がせわしなくなった我々だけが、そんな“ちゃち”な議論をしているのであって、明治の先輩達は、明治維新ということを通じて新しい日本を作ろうとした時に、鉄道という事を考えてヨーロッパから蒸気機関車の鉄道を輸入して来て、日本列島に6,000km近い鉄道網を計画したという、その物凄さ。採算なんてことを言ったら、東京・新橋─横浜間ならともかく、当時、日本中の鉄道で採算が合うなんて言える所は1mもなかったのに、「やはり国を作るインフラストラクチュアだ」と言い続けたというのは大変なことだったと思うのです。そして明治の人達は「北海道、本州、四国、九州を海路ということだけではなくて、陸路で繋ぐことをしなければ日本という国家は持たない」と言ったことも、物凄いことなのです。これを20世紀中に達成させた日本の民族というのは馬鹿にならない民族であって、この強大な公共事業に成功したということは、将来の人達に自慢して良い話だと思います。これからやる千歳のハブ空港も同じ問題であって、これに着目して夢中になってやる人がいて、そしてそれが100年、200年、500年と経って、その真の評価が生まれて来るということくらい楽しいことはないと思うわけです。

更にこのことを発展させますと、土地利用として10,000haを考えた時に、「自然環境を破壊してしまう」という反対がどこの国の場合でもあります。そして土地の買収という問題が大変だということがあります。ところが10,000haの空港というレイアウトを現実にしますと、非常に緑の多い、自然保護をする地域を確保することが逆に機能的に可能になって来て、千歳ハブ空港から苫小牧の空港を繋ぐということになると、その繋ぐ地域の自然環境は空港用地として保全するので、墜落事故などが起きると、少し痛むことは避けられませんけども、しかし自然の状態としては自然環境が寧ろ残ると言って良いのではないのでしょうか。それ以外の開発になると、この地域を埋め立てしてしまって、コンクリートの施設群にしてしまうということに成りかねないので、この千歳川の流域の自然環境を残すためにも、このハブ空港は一役買うということは非常に意味があって、しかも一役買うことがハブ空港のレイアウトにとっても、非常に都合が良いという様なことを議論するようになって行くと良いのではないかと思ったりしています。

そうやってマザー空港ということを議論した時に、私はちょっと面白い事に気が付きました。北米地域と北海道地域とヨーロッパ地域との3つの航空のターミナル圏ということを意識して、それを繋ぐということが航空上大きな意味があるということに気が付くわけです。北緯40度というものの、地球的な面白さというものを感じているのです。北緯40度ということで、北米と北海道とヨーロッパというものを、繋いだ空路というものが“空港の銀座通り”じゃないかということを思ったら楽しくなりまして、こうやって千歳のハブ空港が成功することと、そのことがドッキングすることは、こんな素晴らしいことはないじゃないかと思っています。北緯40度ラインのベルトラインということに空港の銀座通りが開設されて、その一つの大きな役割は千歳空港であるとなった時に、この北緯40度のベルトから南北に直角に交わる航空路というものが、サブシステムとして重要になって来るのではないかと。南米から、あるいはインドから、あるいはアセアン地域から、あるいはアフリカ地域から、あるいは北大西洋地域まで、そのベルトから直角に、垂直に入って行くネットワークということの面白さがあると言った時がありました。現実にそれが実ると面白いのですが。もう一つの議論は人間がグローバルに動く様になって来ることは明らかなので、地球というものを一つの球として考えて、7時間位の航空を中心にして、地球儀をメロンの様にネットワークという形で組んだらどうかということです。その時には千歳がそのマスクメロンのターミナルの一つとして再認識されるという様なことも議論されると、とても面白いことになるなと思っています。私は10年間くらい“マザーエアポート”ということを言っていまして、ハブ空港というのは、日本語で誤解もあって、「成田から関空まで全部ハブ空港だ」と言っているのですが、千歳の場合はそんな“ハブ”ではないということから、“マザー”という言葉を使おうということを言っています。千歳のグローバルなマザーエアポートということで、“マザー”という言葉を作りましたが、これは地球と人間とが航空ということで栄えて行く時のマザーとしての役割でありまして、単なる航空輸送手段ではない、何か素晴らしい文化を生み出す“マザー”という事と一体に考えて行くのです。札幌〜千歳〜苫小牧に至る、この文化的なベルトが何を生み出すかということを含めて、そして且つ航空にとって、どんな航空機産業、そして航空機関連のハイテク部品、そしてコンピュータやインターネットなどの文化と、どのように繋がるかということを楽しみにしようではないかと言ったのが、“マザー”と称したテーマであります。そうしたら、アメリカの航空機会社も「そういうマザー的な役割をする飛行場と関連航空機産業が出来たら、アメリカの飛行機会社は航空機の技術的な維持管理は千歳を使うということになる可能性は極めて高い」ということを、千歳のシンポジウムで言ってくれた時は、「やはりそうなんだな」と再認識した時がありました。

そういう様なことで、段々と興味が湧いて来ますが、しかしここで言いたいことが一つあります。かつて千歳の青年会議所とシンポジウムしたこともあり、千歳の住民運動の方とお会いしたこともありますが、この10年間いろんなことがありました。そして「ハブ空港の勉強会を、どこでやっているのか」と聞いたら、「札幌でやっている」と言うのを聞いて、私は憤慨したのです。「とことん千歳で勉強して、千歳の住民と共に動いて頂かないと困る」と言うと、「千歳としてはいろいろと問題を抱えている」と言うのです。「それはどんな問題か」と聞くと、「世界的な役割を果たすということでハブ空港論は分かったけれど、ハブ空港が出来ることで千歳がどんな迷惑を被るかということについて、ハブ空港ということの議論が足りないんじゃないか」ということを言われまして、「それはもっともだな」とその時に思いました。「千歳にとってはグローバルなハブ空港なんていうのは迷惑施設であって、そういう施設が無い方が千歳の町づくりには幸せだ」という意見を聞いた時には、私も「全くその通りで、千歳の方々がなぜこんな大規模な迷惑施設を誘致したいと言うのかな」と逆に反省したりもしました。確かに千歳の人にしてみれば、「千歳へ来る人、千歳から出掛ける人の国際便が必要」というところまでは、千歳市の振興にとって欠かせないインフラだと思いますが、「何でグローバルなハブ空港の人達を入れて、そして飛行機が飛んで来て、24時間騒音でうるさくて、場合によると墜落事故などが起こったりして、また場合によるとテロによるハイジャックがあって、迷惑な話だ」と。「それよりはもっと静かで穏やかな千歳という町を作りたい」。これは私からすると、地域開発屋の一人として「本当にもっともなご意見だ」と思ったわけですが、どうも未だにハブ空港というものが冷えずに、こうやって千歳の地で、75周年・50周年と経由した北海道が、改めて言い始めているということは、私にとっては驚異的なことであります。私の夢物語としては、是非先ほどからお話している様なことで、成功させて頂きたいと思っていることを申し上げたかったのです。日本列島では絶対に10,000haの空港という可能性はありませんから、「北海道がやめた」ということは、「日本ではハブ空港はやめた」ということの結論になり、今、どちらかというとそっちへ向いています。今日お集まりの皆さんが、千歳を中心とした10,000haのハブ空港論ということで、熱心に討論されることになるとすれば、私自身の夢も膨らんで来るところでありまして、何とか皆さんのお知恵と努力によって、この千歳が21世紀・22世紀に渡って世界の千歳であり、北海道であるということになることを、心から期待したいと思っております。

今日は、「75周年だから、75歳過ぎたヤツが来い」ということでこちらに来たわけですが、皆さま方に“遺言”を残しただけですので、私が死にました後、空から見ていますので、是非とも若い皆さま方でこの話をまとめ上げて行って頂くことを期待しています。お粗末な話しで、わざわざ呼んで頂いたのに申し訳ありませんが、私が思っていることだけお話させて頂きました。もしご参考にして頂ければ幸いなことであります。長い時間ご清聴を有り難うございました。